「細胞を創る」研究会会長からのご挨拶(H21)
上田泰己(理化学研究所)
「生命とは何か」という問いは昔から自然科学者を惹きつけてきた問いです。20世紀に入り細胞の機能を物質から再構成・合成する試みは、生命科学および周辺技術の発展段階でその都度志向されてきました。例えば、初期の分子生物学では、試験管内におけるDNA複製の酵素反応が生命の再構成と表現され、リポソームをモデル人工細胞膜として扱う研究や、人工生命のようにコンピュータ内で生命の特性を再現する試みなども行われてきています。
20世紀後半から21世紀初頭にかけての分子生物学やゲノム科学の急速な進展により、生体分子の種類や分子間のネットワークに関する情報が飛躍的に増加し、各種データベースの整備、任意の配列を持つ核酸の合成や蛋白質合成の効率化、反応の場を提供する工学や観察技術の進展が図られ、生体分子システムの人工設計や、モデル細胞における動的で複雑な生体分子ネットワークの構築の研究が推進されてきています。また,遺伝暗号の改変や、生体分子コンピュータといった、生体システムのデザインと実装も行われつつあります。一方、工学分野では,ナノテクノロジー、MEMSなどのマイクロ加工技術、化学工学、材料工学などが発展し、細胞サイズのウェットな(生体由来の素材を用いた)機能デバイスを作り上げる技術も生まれてきています。こうした知見の技術を踏まえ、細胞機能の再構成・設計を志向する新しい学際的研究領域誕生の機運が熟してきています。
このような機運の元、2005年12月から「細胞を創る」会議と題する一連の会議を岩崎秀雄さん、竹内昌治さん、野地博行さんらとともに開催し、クローズドの会合を開催してきました。この会合での異なる専門性を持つ若手研究者同士の活発な議論により、生命の基本単位である細胞の機能を再構築・設計する研究領域が潜在的に持つ深さと広がりが明らかになってきました。まだ萌芽的なこの研究領域が、太い幹を形成し、広く枝を張り、大きな実を結ぶには、多くの技術革新が待ち望まれています。それは、1人の研究者、1つの研究室、1つの既存分野だけで展開できるわけではありませんし、生命科学の枠内にとどまらず化学、物理学、工学、数学など様々な知を結集することが必要不可欠です。また細胞機能の再構成・設計を志向する研究領域は、自然科学的な観点だけでなく社会や文化との関わりにおいても注目すべき広がりと深さを持っています。「細胞を創る」という試みの持つ学問的・社会的・歴史的な意味、懸念、面白さなどについて、科学者・技術者だけではなく、他分野の専門家や市民とともに多面的に議論・情報交換をしながら理解を深め、共に考え享受していくことが、この分野の豊かで健全な発展に不可欠です。
このような現状の認識と将来の可能性を踏まえ、オープンな研究交流の場として「細胞を創る」研究会が発足しました。これまでに、2007年11月に「細胞を創る」研究会0.0(日本科学未来館・東京)が、2008年10月に「細胞を創る」研究会1.0(大阪大学)が開催されています。今年度は、年会(「細胞を創る」研究会2.0)を東京大学医学部記念講堂で開催する運びとなりました。今年度も学際的な交流を促進するため、ポスター発表を中心に据えています。新たな試みとして、ERATO金子プロジェクト研究報告会(9月29日から10月1日)との合同バンケットを研究会の前日の10月1日の晩に東京大学山上会館で開催します。さらに研究会を広く非専門家の方に知っていただくため、一般公開を初日(10月2日)の晩に開催する予定です。
「細胞を創る」研究が豊かで健全な発展を遂げるためには、生命観や倫理・安全面に関わる研究者・専門家とのコミュニケーション、研究者としての道を歩もうとしている学部生・大学院生への教育、このような学際領域に関わる国際的な交流が必要不可欠です。関連する科学コミュニケーションの試みとしては、生命観や倫理・安全面に関わる研究者・専門家や市民(非専門家)に向けたオープンフォーラムをサイエンスアゴラ2007、サイエンス2008にて開催してきています。また「細胞を創る」研究の取り組みについて大学院生向けのサマースクール(ナノバイオロジー「生命現象を知る」)も開催してきています。さらに、これまでに関連する国際会議として、2006年に日本科学未来館(東京)にて国際会議(「Synthetic Approaches to Cellular Functions」)が、2008年に理化学研究所(神戸)にて国際会議(「Towards Synthesis of Cells」)が開催されてきました。今年度は、2010年1月18日の週に英国大使館にて本研究分野について日英ワークショップを開催いたします。一般公開も行いますのでぜひご参加下さい。
本研究会は、今後も様々な交流の場を提供することを目指していきます。「細胞を創る」研究領域の発展のため、皆様のご協力をぜひよろしくお願いします。
理化学研究所 上田泰己